Tomorrow and the Future



小さなレストランの、ドアにかかったベルがカランと鳴る。
閉店も近い時間。
夕食の混雑もひと段落して、客足もまばらになってきた頃。

「いらっしゃいま…………!!」

せ、と最後の言葉を飲み込んで、宍戸は目を見開いた。

「宍戸さん!」
「長太郎!?」

目の前に現れた長身は、見なれた…けれども少し懐かしい笑顔を浮かべ、首をかしげた。

「びっくりした…宍戸さん、こんなところでバイトしてたんですか?」
「お、お前こそ、何でこんなとこにいるんだよ。」

営業スマイルも凍りつく。
突然の再会に、思わず接客どころではない。
どうしてこのタイミングで、ここに!?
宍戸が高校に進学して以来であるから、実に半年振りにもなるだろうか。
氷帝学園の高等部も、中等部と同じくバイトは原則として禁止である。
だから電車で一時間はかかる隣の市まで、わざわざ通っている宍戸だった。
もっとも、同じような方法でバイトをしている生徒は多いと聞く。

「知り合いのピアニストがここの駅前のホールでリサイタルをするからって。招待されたんです。」

黒いズボンに白いシャツ、蝶ネクタイつきのベストといったいかにもウエイターらしい格好の宍戸に向かって、にこにこと長太郎は言う。
そう言われて見ると、長太郎の服装も普段の私服と雰囲気が違うような気がする。

「はぁ?知り合いって…じゃぁこんなところで飯食わなくても…」
「こんなところ…宍戸さん、仮にも自分のバイト先なんですし。」

ピアニストは俺なんかよりもっと“大物”のゲストが連れて行っちゃったんですよ、と苦笑しながら、長太郎は宍戸の案内した席に座る。

「あ、やっぱり…ここ、川越しに向こうの夜景が綺麗に見えるんですね。」
「ん?あぁ…もう少し前まではテラスも開放してたんだけどな。」

夜風は秋の匂いと共に冷たさを増す。
ガラスに映りこんだ長太郎の横顔を見ながら、宍戸は複雑な気持ちを噛み締めていた。
さすがに長太郎のことだし、皆にバラしてまわるとは思わないけどなぁ…
心の中で小さく舌打ちをする。
バイトしている姿なんて知り合いに見られたくないというのが正直な気持ちだが、隠れてやっているという自覚があるぶん、帰れと強くいうこともできずにいた。

「……久しぶりだな。」

聞こえないのがわかっていてぽつりと呟く。
進学して、新しい友人ができた。
すぐ隣の敷地とはいえ、宍戸が中等部のときそうであったように、高等部との交流は全くといっていいほどない。
当然のようにテニス部に入った宍戸は、久々に味わう『後輩気分』をそれなりに楽しんでもいた。
思っていたよりもレベルの高い練習、試合、そして中等部ではなかった各地への遠征。
気がつけばあっという間に半年が過ぎ去り、あれほど毎日一緒に居た長太郎とも、半年以上顔をあわせない生活だった。
自主練習など、機会を作ればいくらでも会えただろう。
それでも…顔をあわせづらかったのは何故なのか、宍戸にもまだわかっていなかった。
最後の試合で長太郎に負けたから、なんて単純な理由ではないはずだけど。
残り少なくなった他の客を送り出しながら、どうしても視線を長太郎のほうに向けてしまう。
この時間のフロアのバイトは宍戸しかいないため、避けようと思ってもできないのだが。

「ラストオーダーの時間なんですけど。……何か御注文は?」

一応、接客らしく。
それでもどうしてもぶっきらぼうな言い方になってしまうのは、宍戸が照れ半分だから。
長太郎はそれを見透かしたように機嫌よく、ぴっと人差し指を立てた。

「テイクアウトで、あなたを。」

にこにこと、ダブルスを組んでいたあの頃と全く変わらない人懐っこい笑いかたで。
それなのにどこか大人びたその声は、自分の知らない部分を見せ付けられるようで。

「残念ながら、テイクアウトは扱ってないんだよ。」

べえっ、と意地悪く舌を出して見せると、長太郎が口を尖らせる。

「なーんだ、せっかく久しぶりに宍戸さんと帰れると思ったのに。」
「このあとも、まだ閉店まで仕事があるんだよ。」

注文ないなら行くからな、を背を向ける宍戸のベストの端が、ぎゅっと掴まれる。

「じゃぁ俺も待ってますよ。」
「あのなぁ…終電の時間になっちまうぞ?」
「いいですよ。」

呆れ顔で振り向くと、予想通りの表情。
捨てられた子犬のような。

「どこで待つ気だよ…」
「もちろん、外で。」
「馬鹿、風邪ひくだろ。いいから先帰ってろって。」

小さなため息。
まだ握られたままだった服の端が、そっと放される。

「宍戸さん。」

視線は不安になるほど真面目なくせに、それでいて拗ねた子供のような口調。

「宍戸さんと一緒に帰りたいんですけど。」

そういえば、コイツが『お願い』するときっていつもこんな感じだったな。
何故かその仕草が懐かしく思えて、宍戸は思わず苦笑する。

「それに、前だって1〜2時間くらい平気で待ってたじゃないですか。」
「……わかったって。じゃぁ、ちょっとだけ待ってろよ。」

本当に何時間でも待っていそうな勢いの長太郎をレストランの前で待たせ、宍戸は閉店の音楽の流れる店内を奥へと進んだ。

「マスター!すいません!」

知り合いが外で待っているので、少し早めに帰りたいんですけど。
マスターと聞いたら10人中9人が想像しそうな風貌の店長は、宍戸のその言葉にあっさりうなずいた。

「あぁ、今日は裏に人が多いからすぐ帰っても大丈夫だよ。お疲れ様。」
「え?本当ですか?」
「もちろん!ほら、あまり待たせちゃ可哀そうだろ、もう行きなさい。」

片付けもそこそこに店を押し出された宍戸は、肩透かしを食らった気分で首をかしげた。
振り向くと、店長をはじめシェフや裏に居たスタッフたちまで、宍戸を見送るように顔を出していた。
…何なんだ?
訝しげに頭を下げると、振り返される手。

「……?今日はそんなに暇だったか…?」
「宍戸さん?あれ、早かったんですね。」
「あぁ…」

その姿を見つけた長太郎が、飼い主に駆け寄る犬のように一目散に走ってくる。

「お前…相変わらずだな。」

学校から帰るよりも、少しだけ長い帰り道。
電車の中で、他愛ない話ばかりをいくつもした。
駅から家までの、途中からは学校からの道と同じである。
通りすがるいつもの公園、座りなれたベンチ。
まるで時間が戻ったかのように、何も言わなくてもその前で立ち止まり、腰を下ろす。

「宍戸さん…」
「……なんだよ。」

会話を探すしばらくの沈黙の後、長太郎がぽつりと口を開いた。

「ごめんなさい。」
「は?」

目を丸くする。
ふっと苦笑して、長太郎は横に座る宍戸を見つめた。

「俺、ずっと宍戸さんに会いに行こうと思っていました。」
「…長太郎?」

ため息を押し殺すように、一つ一つ吐き出される言葉。

「高等部なんてすぐ隣だし、宍戸さんの家も知ってるし、それに俺もまだまだテニス辞めるつもりなんてないし、だから4月になって、俺が3年になってすぐ、会いに行こうと思ってたんです…」
「……。」
「でも…知らない人に囲まれて、それでも同じように笑ってる宍戸さんを見たら…声がかけられなくて。」

闇の中へ逸らされる視線。
寂しそうな響きが、余韻を残して宍戸の元へ届く。

「俺…もういなくてもいいのかな?とか思えちゃって。」

吸い込まれた空気が、大きく吐き出される。
僅かに震える声。
瞬いてそれを見ていた宍戸は、下を向き、そして小さく笑った。

「馬鹿ですよね。わざわざ宍戸さんの邪魔しに行かなくったって、宍戸さんは宍戸さんで…」
「バーカ!」

言葉を遮って、伸ばされる手。
ぐしゃぐしゃっと、癖のあるその髪をさらにかき混ぜるように撫でる。
コイツ、また背が高くなったんじゃねーか?
心の隅でそんなことを思う。
少しだけ、悔しい。

「し…宍戸さん?」
「何で声かけねーんだよ。今更遠慮することじゃねーだろ。」
「……そう、ですよね。」

まったく!と睨みつけると、しゅんと長太郎が肩を落とす。
それを見て、また宍戸が笑う。
不思議そうに顔を上げた長太郎の目の前で、宍戸の瞳が、遠くを見るように細められた。

「なんつって、俺も同じだったけどなー。中等部の前まで行って、結局通り過ぎちまってた。」
「…え?」

今度は長太郎が目を瞬く。
苦笑交じりに宍戸が、ベンチに腰を下ろしたまま、足元の小石を器用に蹴り上げた。

「引退したヤツが未練がましく顔出してさ、アレコレ言ったって仕方ねーだろ。俺の前の先輩たちだって、卒業したらすっぱり縁切ってたしな。」
「で、でも、宍戸さんが来てくれたら皆喜ぶと…」
「バーカ。新入生は俺のことなんて知らないだろ。…まぁ、そんなわけでさ。俺も何回か足向けようとしたけど、なんか…行きづらくって。」

人のこと言えねーや、と呟いて、長太郎を見つめる。

「それじゃ…」
「俺たち、似たようなことしてたみたいだな。半年もかけて。」

ふっ、とどちらからともなく噴き出す。

「あははは、馬鹿だな、俺ら。」
「ははっ…でも、嬉しかったです。宍戸さん、俺のこと忘れちゃったわけじゃなかったんですね。」

零れ落ちる笑い声が、公園を照らす薄い街灯の光に溶け込んでいく。

「当たり前だろ。俺を何だと思ってるんだよ。」

ボケるには早いぜ。
そんな軽口を叩きながら、長太郎の頭を小突く。

「でも、携帯電話の番号もメールアドレスも、教えてたじゃないですか。」
「そんなの俺だって、お前に…」

視線がぶつかった瞬間に、また笑いがこみ上げる。
半年ぶんを取り戻すかのように。
ひとしきり笑った後、どちらからともなくベンチを立った。
少しだけ冷えた身体を、夜風が撫でていく。

「帰ろうぜ。」
「えぇ、随分遅くなっちゃいましたね。」

それでもまだ名残惜しそうに立ち止まる長太郎を、肩越しに振り返ると。

「ねえ、宍戸さん。」
「な…何だよ。改まって。」

ふっと真顔に戻った長太郎が、宍戸を見つめた。
スッと一歩前に出て、宍戸に近づく。
つられて一歩下がろうとして、長太郎の瞳の中の真剣な光に気づき、宍戸は踏みとどまった。
言葉を捜すように、しばし彷徨う視線。

「会いたかったです。逢いたかったです…あなたに。」
「長太郎…」

切なげに細められる瞳を見ているのが気恥ずかしくて、思わず横を向く。

「あんなにずっと一緒にいたのに…たったひとつ学年が違うだけで、やっぱりこんなに遠いんだって。そう思ったら、すごく寂しくて…」

ぽふん、と宍戸の肩口に、長太郎の頭が乗せられる。

「寂しくて、逢いたくて…だから…」

今は嬉しくて、何から話していいのかわからなくなりました。と苦笑する声。
耳元でそれを聞きながら、宍戸はそっと長太郎の髪に手を伸ばす。
あやすように撫でると、体重を預けてきた長太郎がそのまま腰に手を回してくる。

「うわっ…こら、長太郎…」
「宍戸さん…」
「おい、放せって…」
「今度はちゃんと、逢いに行きます。電話もします。メールも。」

ぎゅっと。
抱き寄せられるその腕の温もりを、心地良いと思った。

「……どうしたんだよ、急に。」
「…宍戸さんは俺がいなくても平気?また半年同じように、連絡なくても…」
「んなわけねーだろ。バーカ。」

長太郎の言葉が、ストレートに宍戸の胸の中に入ってくる。

「お前がいたほうがいいに決まってるだろ。」

目を閉じて吐き出したのは、本心だった。

「本当に?」
「何でそこで疑うんだよ。」

顔が見えなくても、声だけでその表情がわかる。
それはきっと、お互いに。

「だって宍戸さん、人気者だから。」
「あのなぁ…チョコレート獲得数学年ナンバーワンのヤツが何言ってるんだよ。」
「俺は宍戸さんのくれる一個だけで十分です。」
「やらねーからな…来年も。」
「えぇっ、じゃぁ誰にあげるんですか!?」
「は?何でそういうことに…って、話ずれてるだろうが。」
「すみません。なんだかこうやって話してるだけで、すごく楽しくて…」
「まったく…」

ゆっくり離される体。
その間を抜けていく夜風が、嫉妬したように冷たい。

「ほら、帰るぞ。」

公園を抜ければ、お互いの帰路が分かれる。
躊躇なく自分の家を目指して歩き出した宍戸が、5歩目でふっと振り返る。
予想通り、まだ立ち尽くしている姿を見つけて、心の中で「バーカ。」と呟いた。

「…長太郎。」
「はい?」
「……………また、明日な。」
「……っ!はいっ!!」

顔中で笑う、という表現がふさわしいような無邪気な笑顔。
心の底から嬉しそうな表情。
コイツの笑った顔って、何でこんなに…胸の奥が暖かくなるんだろう。
見慣れていたはずだったもの。
じゃあな、と手を振って、今度こそ長太郎に背を向けて歩き出す。

「また明日、か…」

ありふれた挨拶。
それがとても大切な言葉に思えたのは初めてだった。
半年前はどうだっただろう。
いつも一緒に居た毎日には、考えもしなかったことかもしれない。

「そんな小っちゃなことに気づくための半年間、って?」

冷えた夜の空気を吸い込み、宍戸は笑った。

「やっぱバカだな、俺も。」

振り返ればまだ長太郎が見送っているような気がしたが、宍戸はわざと振り返らずに早足で歩き去る。
振り返ってしまえばきっと、もっと帰りにくくなるから。
また明日会えるさ。
昨日まではなかったそんな確信が、今は何より宍戸の心を暖かくさせていた。
それが何故なのかは、まだ、知らないまま。




リクエストありがとうございます〜
大変遅くなって申し訳ないです…(汗)
相変わらず恋愛よりはぬる〜〜い感じですが、
やっぱり傍から見るといちゃついてるようにしか見えない二人。
そんなトリシシだと思って読んでいただければ幸いです(滝汗)


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